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私のその後④

私のその後のつづきです。





(21歳~22歳)
私は文学部に進学してしまいました。
東大文学部というと、何やらマイナーですが、それもそのはず、卒業生で政治家になるような人はほとんどおりません。うまくいって大手企業就職か国家一種(官僚)、まぁまぁで大学院進学⇒モラトリアムの延長、そしてダメな人間はベンチャーや中小企業といった、学歴に似つかわない就職あるいは留年をします。一般的に思われている東大生のイメージは「うまくいった」上位20%のもので、残り30%は大学院という一般社会からかけ離れた特殊な境遇に身を晒し、そして50%は永遠に自身の学歴をコンプレックスとして背負って生きていきます。

はじめはやる気もあった専門過程の授業ですが、本郷のよどんだ空気、というのも大学に溜まっている院生や多留年生の毒気が充満していますので、それにあてられた私はどんどんやる気を失っていきました。もはや大学院進学⇒研究者という私の思い描いた将来像は瓦解していたのです。
そこで私が始めたのは、時給もよく、中高一貫校進学の実績(まさに”学歴”)を活かすことのできる塾講師のアルバイトでした。

3年生の終わりから、就職活動が始まります。
リーマンショック以前のことですので、かなりの売り手市場でしたから、私も塾の仕事に邁進しつつも銀行や専門商社などの内定をいくつか貰います。研究者への道を諦めた私の第一志望は皆さんご存じNHK。読みかじっていたメディア論の知識を武器に面接に臨みました。私の当時の夢は、NHKでドキュメンタリー番組に携わることでした。

このブログを読んでいただいている皆様にはもうお分かりのことかもしれませんが、私の夢ははかなく終わりました。

人文・科学系の番組を多数製作しているNHKですから、文学部卒にはぴったりだと思っていたのですが、蓋を開けてみると内定したのは法学部や理系などのほとんど人文とは関わらない学部の者たち。しかも彼らは三井物産や電通と天秤にかけて、NHKを内定辞退する始末。

大学四年の春、私は失意のドン底にいました。

続きます。



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いちおう有名(?)私立一貫校卒業後国立大学に進学⇒その後迷走人生

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