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私のその後③

私のその後①私のその後②の続きです。





(19歳~20歳)
無事第一志望の国立大学に現役合格しました。
私は当初理系で入学したのですが、大学の講義を受けていく中で、文系学部への進学を志すようになります。
言葉を濁しても仕方ありませんのでぶっちゃけると、東京大学です。

東京大学は前期課程・後期課程という昔ながらのモラトリアムプログラムを採用している稀有な大学で、理1~3に入学しても3年生からの後期課程で文系学部学科に進学することができるのです。

正直、遊びと受験勉強だけで6年間を過ごしてきた私は、それまで学問ということに自覚的ではありませんでした。それは私が中高一貫校に通っていたから、というわけではありません。むしろ一般の高校から東大に進学した人々は、大学に入ってからは自身の進路についてあまり考えていなかったような印象があります。地方の大学や就職していく同級生たちの中で「東京大学に入る!」という意志を持つことが、彼らを盲目にさせるのかもしれませんね。

残念ながら、私は一般高校出身の彼らほど、自身のキャリアに一直線になることはできませんでした。このあたりから、私の人生は狂っていきます。

人生が狂う前に述べると、大学はゆるーいサークルに入って、日雇いのティッシュ配りや当時はやっていたIT企業でのアルバイトなどをして過ごしていました。男子校出身ですが首尾よく何人かの女性とお付き合いすることができました。一般に「一貫男子校出身者は女性免疫が無くなる」などと言われますが、それは完全に偏見だと思います。私の高校時代の同級生をはじめ、男子校出身の東大生はもちろん、一般高校出身者にも沢山の友人に恵まれましたが、恋愛関係をうまく構築できるか否かは完全に本人の素質と運に依ります。
また、一貫校ですと浪人する生徒も多いですので、高校時代に仲のよかった先輩と大学で同学年になるという面白い状況もあります。

そして大学2年なかば、私は“進学振り分け”を受けることになります。
(進学振り分けなど、東大のシステムについては稿を改めようと思います)
当時志望していた学部は教養学部の文系学科でした。教養学部と言うとわかりにくいですが、ほとんどが文系、さらに文科3類入学者で占められる学部です(一部理系学科もありますが)。私はそこで人文系学問をおさめ、ゆくゆくは学位をとり、大学教授への道を歩んでいくつもりでした。

ここで、滞りなく歩んできた私の人生は一転します。

進学振り分け失敗!失敗すると第二志望・第三志望の学科に進学するか、留年を選択することになります。
留年。
私のプライドはそれを許しませんでした。両親は留年を勧めてくれましたが、私はそこで第二志望の文学部に進学することになりました。
思えば、私の人生はそこでエリートコースを外れてしまったのだと思います。

続きます。

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いちおう有名(?)私立一貫校卒業後国立大学に進学⇒その後迷走人生

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