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青雲中学校・高等学校

青雲中学校・高等学校

データ
学校区分:私立・共学校
中高一貫:併設(高校からの入学有)
所在地:長崎県西彼杵郡時津町左底245-2
設立:1975年
学年生徒数:中学男子120人女子30人、高校男女各50名(合計250名)
寮の有無:有(男子のみ)
公式サイト:青雲学園



第二回は長崎県が誇る私立進学校、青雲中学校・高等学校です。

大学合格実績
2000年前後に同じく九州の久留米大学附設高校にほぼ並ぶ東大合格者数を出した中高一貫校です。しかし近年の私立一貫校の不振と重なり、最近は20名程度が東大に合格するようです。九州のラ・サール、久留米附設や、首都圏御三家や関西圏の名門校には見劣りしますが、首都圏中堅校などよりは健闘していますね。
ここ数年の東大合格者数を見て見ますと、

06‵ 21(5)
07‵ 20(3)
08‵ 21(5)
09‵ 22(2)      ※()内は浪人

となっています。この状況から考えると、「浪人してまで東大に行きたい」というような生徒は少ないように思えますね。一方で早慶などには一定数の現役合格者数を出していますから、典型的な上位層のパターンとして

「東大ボーダー圏(早慶はほぼ余裕)」
    ↓
「東大不合格」
    ↓
「そのまま早慶に進学」

という形が考えられます。これは「早慶なら御の字」という地方の感覚を色濃く反映しているものでしょう。また地方進学校の典型として中央大学への合格者数が異常に高いですね。これについてはまた別に書きます。
私も首都圏在住ですので、首都圏を中心に申し上げますが、首都圏からわざわざ受験する価値は低いと言えます。首都圏からの在校生数はおおむね1%強ですから、寮生活でご子息に寂しい思いを無理にさせる価値はあまりないでしょうね(特殊な状況を除く。後述)。
2010年に開校した早稲田佐賀中学校・高等学校との地理的関係、進学状況的な関係を考えますと、これからより厳しい状況に晒される学校だと考えられます。

校風
※注意※
この欄の記述に関しては多分に私自身の個人的経験を通した印象が含まれます。内容についての正確性は保証しません。

かなりストイックな学校みたいですね。全個室の高校寮“和敬寮”の名前からしてちょっとそっち系の雰囲気がします。詳細についてはサイトをご覧いただきたいのですが、一日のスケジュールを見てもかなり禁欲的な感じを受けます。締め付けが強いのかな?
前述した特殊な状況と言うのはこれを指します。こうした学校で生活すれば、都会生活で緩んだ感覚というものはかなり矯正されます。朝6:40起床というのはさすがに完全に実行されているわけではないでしょうが(点呼のみで二度寝可能など)、少なくとも時間とルールを守った集団生活を営めます。
まぁどうせこうした規律正しい生活も大学進学の瞬間にほころび始めるのですが。

私の大学の同級生、後輩に同校出身の方がいますが、正直特別な印象は受けませんでした。無論そっち系に染まるということもなかったようです。ただ、言葉遣いや態度などは首都圏でぬくぬくしていた方のそれとは大きく異なりました。
ただし、かといって独特な方はいません。普通に勉強して、普通に東大に来た、という感じです。大志を抱いてほしいものですがね(笑)。

ちなみに捕捉しますと、寮生活を送るのは基本的に男子生徒のみです(一部男子にも下宿通学生あり)。女子生徒に関しては、中学は自宅通学のみ、高校からは女子生徒専用の下宿を利用する方も多いようです。また、まちがっても全寮制ではありません。首都圏の方はかなり勘違いしていますが、こうした地方私立一貫校で全寮制の学校はほとんどありません。あるとすれば特殊学校と混同しないように(出身者からはかなり嫌がられます。経験あり)。

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武蔵中学校・高等学校

管理人のkidです。
今日はいろいろと問題が発生してしまい、遅めの帰宅です。

いろいろとコンテンツを考えてはいましたが、やはりニーズが高いのは学校情報(+裏話)でしょうから、今回は学校情報を掲載したいと思います。





記念すべき第一回は、
武蔵中学校・高等学校

データ
学校区分:私立・男子校
中高一貫:完全一貫
所在地:東京都練馬区豊玉上1丁目26-1
設立:1922年
学年生徒数:160人



かって男子校御三家の一翼をになった通称私立武蔵です。
都立武蔵高校と区別するため、私立武蔵と一般的には呼ばれますが、中学入試ではいまだに「むさし」と呼ばれるのが普通ですね。

大学進学実績
wikipediaあたりには「伝統校」「私学の雄」的な提灯記事が書き連ねられていますが、それも完全に過去の栄光、現在では東大合格者数の凋落に歯止めがかからない状況です。
2000年前後には50~60名の東大合格者数をたたき出していた御三家の一翼でしたが、2004年に合格者数が約半減(26名)、その後ずるずると低下しここ数年は20名を切る場合もあります。
ただし一方でこの状況は、私立一貫校が軒並み東大合格者数を減らしている近年の流れと、ひと学年160名という母数を考えれば致し方ないとも考えられます。まぁしかしこの現象加減は酷いですね。

塾業界でも志望者数はかなり減っています。むしろ現御三家(開成・麻布・駒場東邦)にかからないレベルの生徒が武蔵を志望するようになってきました。
これはかなりまずい傾向ですね。なぜかと申しますと、基本的に私立一貫校の進学レベルは入学者の質が大きなファクターとなって決まってきます。筑駒が(失礼ながら)むちゃくちゃなカリキュラムを組んで東大合格者を量産している背景には、入学する生徒(そして保護者)のレベルをかなり高いところでキープできているという実際の状況があります。
おそらく、2000年以前のように高いレベルの生徒をリクルートできていない武蔵は、この先東大合格者数がV字回復するようなことは望めないでしょう。

校風
入試問題に「ガシェット(註1)問題」を用いることで有名な武蔵ですので、やはり生徒も独創的な方が多い(かった)ですね。いろいろと言われますが、大学教授などを目指す出身者は多いようです。
校風は非常にリベラル。実際東大に入学した後も、自由奔放に過ごしている方が多かったと思います。ただし、進学や卒業に関してはシビア。なかなか留年や就職失敗という話は聞きません。
「息子を東大教授にしたい」という願いでお子様を武蔵に通わせる保護者の方がどれだけいるかわかりませんが、たしかにそういった方向への意欲を培うにはいい学校かもしれません。

忘れてはならないのは、大学教授になるということは武蔵に合格することよりも、東大に入学することよりも、はるかに困難な道のりだということです。

話が脱線しました。
やってやろう!というような生徒が育つ環境です。しかし、その「やってやろう」のあたまに「なんでも」がつかないような人間が多かったように思います。はたしてそういったタイプの人物に息子さんが育って嬉しいか否か、そこは価値観の問題になります。

ただ、過去華々しい東大合格実績をはじき出してきた学校ですので、「ブランド価値」は未だに健在です。そういった意味では、「楽に入れるお得な学校」なのかもしれません。

註1)ガシェット問題=理科の入試問題に、毎年1通の茶封筒が添えられます。その中には毎年異なった身の回りの品(ヘアピン、クリップなど)が入っておりまして、その構造を理科的に解説するという問題です。まぁ難しくもなんともない問題ですが、心の準備はしておいた方がいいかもしれません。
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私のその後④

私のその後のつづきです。





(21歳~22歳)
私は文学部に進学してしまいました。
東大文学部というと、何やらマイナーですが、それもそのはず、卒業生で政治家になるような人はほとんどおりません。うまくいって大手企業就職か国家一種(官僚)、まぁまぁで大学院進学⇒モラトリアムの延長、そしてダメな人間はベンチャーや中小企業といった、学歴に似つかわない就職あるいは留年をします。一般的に思われている東大生のイメージは「うまくいった」上位20%のもので、残り30%は大学院という一般社会からかけ離れた特殊な境遇に身を晒し、そして50%は永遠に自身の学歴をコンプレックスとして背負って生きていきます。

はじめはやる気もあった専門過程の授業ですが、本郷のよどんだ空気、というのも大学に溜まっている院生や多留年生の毒気が充満していますので、それにあてられた私はどんどんやる気を失っていきました。もはや大学院進学⇒研究者という私の思い描いた将来像は瓦解していたのです。
そこで私が始めたのは、時給もよく、中高一貫校進学の実績(まさに”学歴”)を活かすことのできる塾講師のアルバイトでした。

3年生の終わりから、就職活動が始まります。
リーマンショック以前のことですので、かなりの売り手市場でしたから、私も塾の仕事に邁進しつつも銀行や専門商社などの内定をいくつか貰います。研究者への道を諦めた私の第一志望は皆さんご存じNHK。読みかじっていたメディア論の知識を武器に面接に臨みました。私の当時の夢は、NHKでドキュメンタリー番組に携わることでした。

このブログを読んでいただいている皆様にはもうお分かりのことかもしれませんが、私の夢ははかなく終わりました。

人文・科学系の番組を多数製作しているNHKですから、文学部卒にはぴったりだと思っていたのですが、蓋を開けてみると内定したのは法学部や理系などのほとんど人文とは関わらない学部の者たち。しかも彼らは三井物産や電通と天秤にかけて、NHKを内定辞退する始末。

大学四年の春、私は失意のドン底にいました。

続きます。



私のその後③

私のその後①私のその後②の続きです。





(19歳~20歳)
無事第一志望の国立大学に現役合格しました。
私は当初理系で入学したのですが、大学の講義を受けていく中で、文系学部への進学を志すようになります。
言葉を濁しても仕方ありませんのでぶっちゃけると、東京大学です。

東京大学は前期課程・後期課程という昔ながらのモラトリアムプログラムを採用している稀有な大学で、理1~3に入学しても3年生からの後期課程で文系学部学科に進学することができるのです。

正直、遊びと受験勉強だけで6年間を過ごしてきた私は、それまで学問ということに自覚的ではありませんでした。それは私が中高一貫校に通っていたから、というわけではありません。むしろ一般の高校から東大に進学した人々は、大学に入ってからは自身の進路についてあまり考えていなかったような印象があります。地方の大学や就職していく同級生たちの中で「東京大学に入る!」という意志を持つことが、彼らを盲目にさせるのかもしれませんね。

残念ながら、私は一般高校出身の彼らほど、自身のキャリアに一直線になることはできませんでした。このあたりから、私の人生は狂っていきます。

人生が狂う前に述べると、大学はゆるーいサークルに入って、日雇いのティッシュ配りや当時はやっていたIT企業でのアルバイトなどをして過ごしていました。男子校出身ですが首尾よく何人かの女性とお付き合いすることができました。一般に「一貫男子校出身者は女性免疫が無くなる」などと言われますが、それは完全に偏見だと思います。私の高校時代の同級生をはじめ、男子校出身の東大生はもちろん、一般高校出身者にも沢山の友人に恵まれましたが、恋愛関係をうまく構築できるか否かは完全に本人の素質と運に依ります。
また、一貫校ですと浪人する生徒も多いですので、高校時代に仲のよかった先輩と大学で同学年になるという面白い状況もあります。

そして大学2年なかば、私は“進学振り分け”を受けることになります。
(進学振り分けなど、東大のシステムについては稿を改めようと思います)
当時志望していた学部は教養学部の文系学科でした。教養学部と言うとわかりにくいですが、ほとんどが文系、さらに文科3類入学者で占められる学部です(一部理系学科もありますが)。私はそこで人文系学問をおさめ、ゆくゆくは学位をとり、大学教授への道を歩んでいくつもりでした。

ここで、滞りなく歩んできた私の人生は一転します。

進学振り分け失敗!失敗すると第二志望・第三志望の学科に進学するか、留年を選択することになります。
留年。
私のプライドはそれを許しませんでした。両親は留年を勧めてくれましたが、私はそこで第二志望の文学部に進学することになりました。
思えば、私の人生はそこでエリートコースを外れてしまったのだと思います。

続きます。

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私のその後②

私のその後①の続きです。





(13歳~18歳)
無事有名私立一貫校に進学しました。
所謂男子校御三家です。

この時期は私にとって本当に有意義なものでした。非常に特色ある学校だったので、文化祭(文化祭実行委員会はほとんど大学のサークルのよう、先輩も優しかった)や部活など、そして勉強にもとても力を入れていたと思います。私の在学中にあった出来事としては、地下鉄の脱線事故で先輩が一人亡くなったことでしょうか。しかし時期が時期だったので、学内ではあまり大きな事件にはなりませんでしたね。

大学に入ってから知ったのですが、当時から都内有名私立では鉄緑会や予備校で補修を受ける者が増えてきていたようです。しかし私は全く通いませんでした。本当に学校の勉強だけ、学校で宿題などで指定されるもの以外には参考書一冊買っていません。

大学受験に向けた勉強は惰性でした。センター試験の内容はもはや私が中学生の時に身につけた内容、模試の成績もそこそこでしたので二次試験に向けた勉強もそこそこでした。むしろ都立高校の女子生徒と遊ぶ方に夢中だった(笑)
それでも志望校に現役合格しましたから、過去の自分を褒めてあげたいですね。
現在では、こういうチャラチャラした高校生活はご法度のようです。こういうタイプの生徒はほとんどが浪人することになっていると、以前当時の担任教師と飲んだ際に聞かされました。いい時代だったんですね、当時は。

続きます。

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1982/01/06
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自己紹介:
都内某大手塾にて算数を教えるしがない塾教師。
いちおう有名(?)私立一貫校卒業後国立大学に進学⇒その後迷走人生

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